自我 第5話 

 

「あ・・・・」

ダイニングだった。

俺は戻っていた。

あの暗闇の世界から。

自分の世界から。

あれは俺なのか?

あいつが言っていたことは事実だ。

嫌な思い出。

思い出したくなかった。

だから忘れた。

記憶から消した。

でも。

認めなくてはいけないのかもしれない。

あいつも俺だから。

自分のしたことだから。

家族がばらばらになったのも俺のせい。

友達が離れていったのも俺のせい。

そして殺したのも俺のせいなんだ。

認めたくなかった。

自分は精一杯やったと思いこんで記憶の彼方に追いやっていた。

でも、離れていったわけではなかったんだ。

紀美香は来てくれた。

『あなたは仲間だから』

仲間。

紀美香はまだ俺のことを仲間と呼んでくれた。

こんなふがいない俺を。

だから俺は立ち向かう。

逃げることをやめて。

この自分の世界から抜け出さなくてはいけない。

紀美香が待っているから。

俺の世界。

俺が作った世界。

自分の中に閉じこもっていた俺。

何もかも忘れようとしていた俺。

逃げてはいけない。

逃げては何も始まらないんだ。

戻ろう。

世界へ。

元いた世界へ。

俺は両手を広げ、目をつぶる。

飛ぶ。

俺はまだ飛べる。

飛べるはずだ。

願え。

仲間のことを。

世界のことを。

体からまばゆい光が発する。

暖かな光に中で俺はさらに願う。

紀美香のことを。

俺の愛した女性のことを。

戻る。

俺は戻るんだ。

そして俺は飛んだ。

風を受けて。

流れに沿って。

紀美香を想う。

紀美香を願う。

そして俺は戻った。

この世界に。

俺の居場所に。

俺はゆっくりと両目を開く。

世界が広がっていく。

「!?」

何かの感触を感じた。

「芳洋!」

誰かが俺に抱き着いていた。

その誰かはすぐに分かった。

「紀美香!」

俺も今まで出来なかった分を取り戻すように力いっぱい抱きしめた。

紀美香の匂いがした。

懐かしい匂いだ。

「よく戻ってきてくれたわ」

俺の首筋に手を回して紀美香が言った。

「紀美香が呼んでくれたから、俺は戻ってこれた」

「私はきっかけを与えたに過ぎない。芳洋の心が強かったの」

「俺は強くなんてない。でも紀美香が俺に力をくれたんだ」

俺は紀美香のおでこに軽くキスをした。

「もう、相変わらずね」

紀美香はくすりと笑った。

「何だよ」

「そんな所があなたらしいけど」

そういって紀美香は俺の唇にキスをする。

情熱的なキスだった。

「ね」

長いキスが終わると紀美香が先に口を開いた。

「ん?」

「ひとつだけ聞いておきたいんだけど」

「なんだい」

「あなたの世界に私はいたの?」

「もちろん」

俺は言った。

俺がすべてを忘れようとしても忘れられなかったこと。

紀美香と靖之、そして好恵。

だから俺はまたここに戻ることが出来た。

「どんな私?」

「そのまんまさ」

愛しい紀美香。

記憶をなくしても俺は紀美香を想っていた。

いつも目で追っていた。

俺達は離れられない運命にあるのかもしれない。

陳腐な言葉だ。

でも今はそれが一番しっくりくる。

「もう、いなくならないで」

紀美香は俺を抱く手に力を入れた。

「ああ」

俺は答える。

もう紀美香を一人にはしない。

逃げない。

忘れない。

だから戻ってきた。

「靖之達のことは・・・・」

俺が言いかけると紀美香は俺の口を手で押さえた。

「何も言わないで」

紀美香は分かってくれている。

何もかも。

俺は頷いた。

そうこの瞬間だけは紀美香のことだけをを考えていよう。

 

 

 

 

 

「西暦2583年11月4日」

淡々と警官は話す。

「火星からの帰還途中事故に合いパイロットの二人が死亡」

それが仕事だから。

「上層部はこの自己を不慮のものと判断する」

私達のことなんか何も考えちゃくれない。

不慮?

ふざけないでよ。

私達の整備ミスだとでも言うわけ?

「それでは」

「ちょっと待ちなさいよ!」

我慢できずに私は叫んだ。

「何か?」

警官は表情を崩さない。

「ふざけんじゃないわよ!どう言うことよ!」

「どういうこととは?」

「何が不慮の事故なのよ!」

「と、言いますと?」

「私のセッティングは完璧だったわ!」

やれやれと警官は肩をすくめた。

「我々は上からの報告をそのまま伝えているだけでして」

「じゃあ上に言いなさいよ!」

「私のような下の者では」

くーっ何なのよこいつは!!

それにしてもさっきから芳洋は何も言わない。

どうしたんだろう。

「では」

警官は一度頭を下げると去っていった。

「あ、ちょっと待ちなさい!」

もうこうなったら上層部に告訴するしかないわ。

二人のためにも私達の名誉のためにも。

「芳洋!告訴よ!」

私は叫んだ。

でも返事はなかった。

「芳洋?」

芳洋はボーッと宙を見つめていた。

「ちょっとどうしたのよ」

私は体をゆすった。

「俺の・・・・せいだ」

「は?」

「二人が死んだのは俺のせいなんだ」

なんだかとんでもないことを言い出した。

「何言ってるのよ、しっかりしてよ」

確かに私だって二人が死んだなんて聞いたときはショックだったわよ。

でも、それが私達の責任だなんて名誉毀損もはなはだしいわ。

こういう仕事をしていればこういうこともいつかはある。

分かっていたことじゃない。

つらいけど、乗り越えなきゃいけないのよ。

「お、俺があんなことをしなけりゃ・・・」

「いいかげんにして!!」

私は大声を出した。芳洋もさすがにびくっとした。

「そんなこと考えたって二人は戻ってこないのよ!」

好恵は芳洋の妹だから私なんかよりショックが大きいのは分かる。

でも、私は信じてるもの。

こんなことで芳洋はくじけたりしないって。

「私達の仕事は船の整備でしょ。仲間が乗る船に手を抜いたりするはずないじゃない」

二人は私達を信じて安心して船に乗った。

それが他の船と衝突した訳でもないのに事故ですって。

そんなことがあるわけがないわ。

「なにか上層部が隠してるのよ。事実を!」

「違うんだ」

「え?」

芳洋は真っ青な顔をしている。

「ちょっと大丈夫!?休んだほうが良くない?」

私が触れようとすると芳洋はそれを手でそれを制した。

「芳洋?」

様子がおかしい。

ショックだけでこうなるのもだろうか。

「ほんの嫌がらせのつもりだったんだ」

「え?」

ほとんど聞き取れないような言葉で芳洋は語り出した。

「あいつが、靖之が好恵と寝た・・・なんて言うから」

「何を・・・言ってるの?」

がたがたと振るえている。

おかしい。

芳洋は私に何を言いたいのだろう。

「許せなかったんだ、靖之が。好恵を・・・俺の好恵を」

俺の好恵ですって?

普通妹のことをそんなふうに言うかしら?

私はその時はまだ何も分かっていなかったのだ、芳洋のことを。

誰よりも愛していたつもりだった。

誰よりも近くにいると思っていた。

でもそれは私も独り善がりでしかなかったのだ。

「俺は好恵のことを愛していた。それをあいつが奪ったんだ」

!!

な・・・・。

何と言ったの。今、芳洋は何を言ったの。

「憎かった。靖之も俺を裏切った好恵も」

私の思考はそこでずっと止まっていたのかもしれない。

ただ、芳洋が話す言葉だけが頭の中を通り過ぎていった。

「脅しのつもりだった。エンジンを途中で止めてやろうと思っただけなんだ」

芳洋の目はうつろになっている。

私に話すというよりは自分自身に語り掛けている様子だった。

「殺すつもりなんて無かった!!無かったんだよおぉぉ!!」

突然、大声を張り上げ芳洋は私の肩を強く握った。

「ちきしょう!!ちきしょう!!好恵!!好恵ぇぇ!!」

こんな時私はどうすれば良かったのだろう。

でもすべての力が抜けて立つこともままならない状態なのに。

結局、彼は私など愛していなかった。

彼が見ていたのは好恵だけ。

そのことしか私の頭になかったから。

何故、人は人を愛すのだろう。

何故、人は人を憎むのだろう。

そんなことをしなければ生きることなんてきっと楽なのに。

それでも私は彼を愛した。

それでも彼は妹を愛した。

愛の結末で死を迎えた二人は何を思う。

残された私達は何を願う。

きっと答えは見つからない。

分からないからそうするのだから。

だから私は芳洋を受け止めた。

両手を広げて抱きしめる。

人はそんなに強くない。

私が勝手にそう思っていただけなのだから。

「ごめんね」

私は言った。

「うぅ・・・・好恵ぇ・・・」

芳洋は答えなかった。

泣きながらずっと愛する者の名を呼んでいた。

「ごめんね」

もう一度私は言った。

芳洋の体が透けて見えたのは私の気のせいなんだろうか。

離さないようにぎゅっと抱きしめる。

「・・・・・・・・」

そのうちに芳洋は何も言わなくなった。

落ち着いてきたんだろうか。

「芳洋?」

そう思って私が手の力を緩めたときだった。

芳洋はまるで私の体に吸い込まれるように消えていったのだ。

「よ、芳洋!?」

一体何が起こったの?

私はさっきまで芳洋がいた空間を見つめつづけた。

手に残る芳洋の感触。

私はその手を握り締めた。

現実に耐え切れなくなったのだろう。

私はそう確信した。

そんな時が誰だってある。

そしてそれはいつしか考えられないことも起こしかねない。

自分でそんなことを考えてふとおかしくなってしまった。

私、何言ってるんだろう。

柔軟な考え方してる。

変わってるって人から言われるのもこのせいかもね。

でも私は信じている。

きっと彼は戻ってくる。

だってやっぱり私は彼を愛しているのだから。

 

続く

 

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